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                                1970年卒 藤森
 友明

 153人目のランナーとなりました1970年と2010年卒の藤森です。卒業年次から判りますように、古希目前です。在学中は牧野・多田・石川ゼミと会計学研究部に所属していました。現在は東京三扇会で副会長を仰せつかっています。以下、石川先生との縁を中心に述べさせていただきます。

 石川ゼミの特徴の一つに卒業時に卒業生一人一人に色紙が渡されるというものがあります。そこには先生の鋭い観察眼と文章力とウイットが合成された文章が記載されています。各自の特徴と励ましが記載されています。私もこれを頂戴しましたが、そのような色紙が学部卒業生全員に渡されているということを知ったのは、平成24年1月の石川ゼミのゼミ合宿のときでした。

 あらためて、大学の7年間を振り返ると、団塊の世代一期生としての大学紛争の経験と60の手習いとしての最近の経験に分かれます。60の手習いを指導して下さったのは石川先生です。石川先生と初めてお会いしたのは1992年の富山大学での学会でだったかと思います。23年前ということになるでしょうか。高崎経済大学は50年を超える歴史を持ちますが、大学院の歴史は意外と短いです。1970年に卒業したときに大学院は存在せず、1971年に青山学院大学の経営学研究科に入りました。60才を目前にしてとある学会で石川先生とお会いしたとき、来春、高崎経済大学を受験しますのでとお話ししたことを覚えています。当時石川先生は博士後期課程の学生を指導されており、博士号取得に邁進されていた関さんを連れて来られていました。後に関さんは高崎経済大学での経済・経営系博士の第1号を取得されました。60の手習いを決意した最大の理由は、クラブの1年先輩と1年後輩が早くに有名大学の博士号を取得されており、少しでもこれらの方々に近づこうというものでした。

 翌春高崎経済大学の経済・経営研究科の博士後期課程に入学致しました。以後3年間、石川先生のきびしくも丁寧で温かい指導を受けました。大学院博士後期課程は3年間で12単位を取得が単位のしばりです。学部では124単位〜128単位の大学が多いことと比較すると非常に負担は少ないです。しかも、高崎経済大学は土曜日開講の仕組みをとっており、仕事を持ちながらの通学に便宜を図っています。石川先生は経営情報論の分野で学会をリードしてこられました。学会で指導的立場を長期間維持されるだけではなく、学会と個人の両ネットワークを駆使して、学生指導にも万全を期されました。教え子が学会発表の際には付き添って下さることも多く、心強かったです。

 高崎経済大学で石川先生の指導を受けていた(平成19年〜平成22年)時の石川先生は副学長でしたが、私が高崎経済大学の2回目の卒業式に平成22年、学生として臨んだ後、しばらくして学長就任が決まりました。学長職は激務であり、授業を継続するのは適当ではないとのご判断から、石川先生が担当されていた学部授業をやってみないかというお話をいただきました。これをお受けして、今年で5年目になります。石川先生がご担当だった経営情報論と経営情報システム論の他、ゼミ生の指導も引き継ぐことになりました。2年目からは、地域政策学部のコンピューティングVと情報基礎Uも担当させていただいています。

 石川ゼミは152番目執筆の倉石さん他のご努力でゼミ同窓会を長く続けてこられました。学長就任後は規模を縮小されていますが、今年の10月31日(土)のホームカミングデイには多くの卒業生が集まるのではないかと想像しています。ゼミの同窓会等を通じて、東京三扇会の年度幹事や役員に加わって下さる卒業生も出ています。この半年間、石川ゼミ卒業生がリレー随想の執筆者に加わって下さり、石川ゼミと東京三扇会のつながりが太くなりうれしく思っています。

 現在も石川先生には公私にわたってお世話になっています。高崎←→上尾間で長時間の雑談に応じて下さったり、東京三扇会を支援いただいたり、さまざまな就活支援に影響力を発揮していただいたり、数えきれません。話せばきりがありません。次回は同期で現役で活躍し、テレビ出演多数、講演依頼多数の売れっ子タレント、平野氏にバトンタッチします。