top
                                          

  「時とともに変わる自身」

                                1989年卒 倉石
 

 152人目のランナーとなりました、平成元年卒の倉石です。在学中は石川ゼミと自動車部に所属していました。

 大学の4年間を振り返ると、友人との楽しい時間と現学長の石川先生の教え数点?が今も自身の中に生き続けています。OBになってからもゼミのOB会にはほとんど出ていたので、年の離れた後輩たちとも交流してきました。私も50歳という節目を迎えたわけですが、私にも変わるポイントがありました。

 一つ目は労働組合での活動。1992年から役員になり、2002年から4年間執行委員長を経験したことで、人との交流の幅、考え方の幅が広がりました。「人が仕事をする」という原点は誰にも変えられませんし、今も同僚や後輩と接するときに重点を置いています。今の時代は、仕事上で同じ職場の人への声掛け・相談が少なく、個で動きすぎかもしれません。雑談はよくしているようですが・・・。

 二つ目はスキーとボウリング。この2つを35歳から運動として始めるきっかけになったのは、34歳のときに起きた胃痙攣と会社の後輩たちの熱心な誘い。医者からすすめられた温泉に行くようになって、学生のときの交通事故以来出ていた左足親指の付け根と左肩冷えによる痛みが消えました。憂鬱な冬が一変、後輩たちからスキーという楽しみをプレゼントされました。また、通年できるボウリングは、今も始めた当時から試合で投げていた人たちと試合をしています。ずっと続ける楽しみも持てました。

 三つ目はモータースポーツ。特に2004年から開催されたラリージャパンでは、多くのレジェンドとお話する機会がありました。中でも木全  巌(きまた いわお)さんとアンドリュー・コーワンさんはラリー界のレジェンドですが、気さくで真面目にお話しますから、話をしている間にかいた汗の量は最大。残念ながら木全さんはお亡くなりになりましたが、あの緊張感はもう味わえないでしょう。夢のような時間でした。

 そして今は、撮り鉄。2012年の夏に1台のカメラを手にして、2013年から再開。中学生までは撮っていましたが、35年ぶりに撮ってみました。家から古いネガも出てきてデータ化して修正中です。そして気が付くと、新幹線が開業して多くの名列車が消えるという大きな節目の年を迎えました。普段、何気なく利用している列車が、ある日変わったり無くなったりしますから、記録はとても大切。ときどき鉄道ファンという雑誌に撮った写真が出たりしますが、何よりも風景や自然の音などを見聞きする待ち時間と一瞬を撮る集中がとても良いリフレッシュになっています。消えた列車たちは・・・「A列車で行こう」で走らせればいいか・・・。

 これからも、変わるきっかけがどこかにあるのでしょう。当面では、会社を辞めた先輩の旧家で所持している鉄道関係の資料、写真、備品の整理を手伝うことになるのですが・・・。

 最後に・・・皆様のお手元にホームカミングデイの招待状が届いたと思いますが、ここ数年行けなかったので、今年は参加予定。久しぶりに多くの人にお会いしたいと思います。