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「自主自立の精神を学んだ経大生活」
1986年卒 吉岡 和弘 |
140番目のランナーの吉岡です。1986年に卒業、社会人29年目のオヤジです。後輩佐藤さんからバトンを受け、経大時代の思い出、近況など随想を記す機会をいただき、ペンならぬキーボードを叩いております。
私が経大に入学した頃は、学生会館や図書館も古く、6号館や7号館はテニスコートだったと記憶しております。その後の施設拡充、学生の活躍はOBとしても嬉しい限りです。
私にとって経大の4年間は人間形成に大きく寄与したといっても過言ではありません。特筆すべきは、体育会活動、ゼミ、アルバイトでした。体育会活動は卓球部所属で、関東リーグ、北関東大会、群大定期戦など数知れぬ大会、また主将としての日々の練習に明け暮れました。顧問不在の学生自主自立を旨に部の運営はすべて自分たちで賄い、苦楽を共にした仲間との時間はかけがえのないものでした。何かに打ち込む姿勢はいつの時代でも共感するものと感じています。
日本経済論を専攻したゼミでは、ゼミ長を拝命し、高度成長期の日本経済を学び、時に酒を交わしながら交流を深め、社会の視野を広げることにつながりました。勉学は他人に強制されてするものではないものだと教えてくれたゼミ。
アルバイトも家庭教師、ウエイター、肉体労働など、月10万円目標に稼いだものです。特に、流行りだしのコンビニでの深夜バイトで迎える朝は何か大人になった気分になりました。駅ビル「モントレー」の屋上ビアガーデンも楽しかった。1階でのお客さんの呼び込みは度胸がついたなあ・・
思い出話ばかりで申し訳ありませんが時間が足りないくらい4年間は有意義なものでした。実は高校時代、交通事故で瀕死の重傷を負い、心身ともに復帰したタイミングで入学し、高校時代にやり残した部分を取り戻したいという気持ちが強かったため、貪欲になれた経大生活だったのかもしれません。
でも、おかげで多くの経験を得、見識を持つこともできました。「死んだ気になって頑張れ」といいますが、現実に死にそうになった経験をしたため、物事に臆せず当てれるようになった、そこに経大の学風がマッチングしました。
多くの内閣総理大臣を輩出する土地柄、商都高崎で感じ、学んだ精神は社会人の今でも脈々と心に循環しています。職場では、経大出身者で親睦会「番場会」を結成し、世代を超えた交流を図っております。
現在は、管理職として後輩を指導する立場であり、先端の現場で動くこともほとんどなく、年齢を感じつつも、その役割の困難さも存分に味わっております。
「番場会」はそんな自分にとって気持ちがほっとする場なんですよね。
経大の今後の益々の飛躍を祈念し、次のランナー持田くんにつなぎます。