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                              1966年卒 前田 昇
「人生2毛作」   
                            
55才の時に33年働いたビジネス社会から大学というアカデミックな世界に移り住んだ。

教授という仕事を15年間エンジョイし、昨年計48年間の勤務生活から毎日が日曜日の年金生活に入って、70才の古希を迎えようとしている今日この頃である。

世界を駆け巡る仕事がしたいと願って入ったビジネスの世界は、欧米での勤務も経験し刺激的で楽しかった。しかし第2の人生を過ごした大学での生活は短い年数ではあったがそれにも勝る思い出多き実りのあるものであったと感じている。

その理由を考えてみると、FLOWが中心のビジネス社会と違って、教員生活は毎年の講義というFLOWに加えて「教え子」というSTOCKが半永久的に残る社会である。

そういえば私も昨年末に亡くなった中学時代の恩師に会いたくて、この15年間よく地元大阪の同窓生と自宅近くの料理屋さんや晩年は老人ホームに行ったものである。我々の思春期時代を深い愛情を持って接してくれたその恩師の包容力はいつまでも忘れ難い。

私の教員生活の場合は30才〜40才程の経営学修士を目指す社会人学生が対象で、経営学を私のビジネス社会での経験事例や大学に来てからの研究に照らし合わせながら講義や討議するのが中心であった。

学生には私が在籍したIBMやソニーの社員もいたが、金融、流通、建築、ベンチャー、役所等のあらゆる産業に勤務する男女学生達で、中には役員クラスの人やアジアからの留学生もいて、多様性の交流からも学生のみならず教授の私も学ぶところが多かった。

ビジネスからアカデミックに移るときには、必要とされる修士・博士の学位を取るべく勤務しながら50歳代の体に鞭打って睡眠4時間を数年続けて図書館通いしながら猛勉強したのが懐かしい思い出である。高経の学生時にはこんなに猛烈な勉強はしなかった。

演習の学生達とは在学中や卒業後に山荘でバーベキューを楽しんだり、昔教えたことをどれだけ覚えているかチェックしたり、習った学問が仕事にどう活かされているか聞いたり、私の研究学会での発表をプロジェクターで再演したり、今でも毎年私より若い教え子たちに接して楽しめるのは教師冥利に尽きるものだ。

一昨年の大学定年退職時には「最終講義」の機会があり、ビジネスマン時代の経験を踏まえて「ビジネスに学問を取り込む」の演題で一時間講義したが、教室にあふれる教え子たちが遠く海外や大阪からも駆けつけてくれ、最終講義終了後はこれで私の葬式も終わったようなものだ、楽しい人生だった、思い残すことはない、と嬉しい感慨にふけったのを思い出す。

教え子たちを含め全国のビジネスマンが常に経営学を学び続けビジネスに取り込むために、メッセージを「MBA Update」 のタイトルでWEB上にほぼ毎週発信している。これは教え子と私をつなぐ貴重なツールで、私の学生時代の上並榎の下宿先の当時小学生の娘さんがそのシステムを提供してくれている。彼女は子育てが終わってから高経の地域政策研究科で修士・博士を取ったそうだ。これも何かの縁である。

私が教えていた渋谷の青山学院大学キャンパスには、学生時代に英語弁論大会全国大会出場で高崎から出向いて全国の学生と競い合った大教室も残っており、すぐ近くを通りかかった時に時々思い出すのも楽しい思い出であった。

今でも会いたい高経の数人の恩師は数十年前に亡くなり、このような機会を持てないのは残念である。長野新幹線に乗るたびに高崎近辺で観音像を遠く拝み見ては、半世紀前の高経時代の恩師や学友との楽しかったことを思い出している今日この頃である。

参考 MBA Update :http://www.tyy.co.jp/yum-mag/mba/