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                          1986年卒 久保田 貴文

「50才になって」
生協がちょうど建替えの頃でした。1年生の時は木造平屋建てでよく焼うどんを食べていました。私はほとんど授業には出ていませんでしたが、家にいてもつまらないので昼飯を食べに学校には行きます。そうすると似たような、朝起きたばかりの将棋部の先輩方が昼飯に集まってきます。
今日は何して遊ぶ?ボーリング・テニス・スキー・ドライブ・マージャン・将棋。遊ぶお金を親に出させるわけにはいきませんので、事務局のアルバイト情報をいつもチェックしていました。渋川・沼田の関越自動車道の工事現場にはよく行きました。私の車は黒いセリカ、先輩方の車は白いレビン、赤いトレノ、ワーゲン。校舎に横づけの時代でした。そんな毎日ですから先輩も私も当然3年生にはなれず留年でした。さすがに就職を意識した年齢になると進化して超まじめ。日経もよく読むようになりました。世の中はとても景気が良かったので、アウトローの先輩方も私も難なく就職できました。古き良き時代でした。

近況
私は昭和61年3月卒で50歳なので、高崎経済大学を卒業してから26年が経ちました。現在、妻と高3の娘と高1の息子と母親の5人家族、子どもは小中学生の頃に比べればだいぶ手がかからなくなったとはいえ、夜の学習塾送迎は相変わらずなのでのんびりする間はありません。塾の費用もかなりの額、大学にはいくのでしょうけど、要は就職。不景気の昨今、大学を出てもなかなか正規雇用につけないと聞きます。何千万もかけてやっとの思いで大学を出して、就職先がないとは、すごい世の中になりました。お父さん世代はリストラ対象、子どもたちは非正規雇用。んー、私の老後はどうなることやら。