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                                 1968年卒 香川 長生
                           
「45年前の三陸海岸」
                    
 仙台一帯は七夕祭り一色で、どこの旅館も満室だった。困り果てて、煙草屋の店番のおばさんに助けを求めて尋ねたら「この路地を50mほど中に入ったWさんなら、きっと喜んで泊めてくれるよ」という。厚顔にも訪ねてみると、長屋門の奥に堂々たる母屋の旧家。2階の黒光りした部屋に床が用意され、昔ながらの脚盆に載せられた夕食まで馳走になった。翌早朝Wさん宅をいとまし、北上市の友人S君宅に1泊後、遠野市を突っ切り、釜石市の煙突群を横目に、三陸海岸をひた走った。いわゆる高度経済成長期の始まりのころ。道路拡張工事が真っ最中で、砂利トラの巻き上げる土ぼこりの浜街道を大槌町、山田町を走り、ほうほうの体で宮古市にたどり着いたのだった。宮古市は、まだ道路工事の始まる前。港を望む気持ち良い路傍の草地にシュラフを広げ、何の心配もせず夢路についた。21歳を記念して誕生日に高崎を出発し、東北一周自転車一人旅を志し、日光→矢板→裏磐梯五色沼→名取→北上→宮古と辿った三陸海岸の数日間、経大3年生当時の思い出だ。
 45年経った今、テレビの中で名取市、大槌町、山田町、宮古市が津波に襲われている。そして地盤陥没してしまった名取市。あのWさん宅とご家族は無事なのか。行方知れずの方々の多い大槌町や山田町。なすすべもなく、ただ無事を祈るのみの平成11年3月中旬である。