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                                  1967卒 内田 実
「逆転の発想」

 私が大学に入学した時、上並榎の道路は未舗装で雨が降るとぬかる道と化していた。爾来、50年近くの歳月を経て、痩せのガリガリは、今やポンポコリンの古狸と化し、医者を始め家族からメタボ、メタボとのいわれなき迫害を受けている。ある国ではこんな野暮なことはいわず、「幸せの曲線」と呼ぶ、なんと心地よい響きではないか。しかし、天使ガブリエルが"幸せにどっぷり浸かっていると後で大変なしっぺ返しを受けますよ"との告知か。自からを戒め、心してウォーキングに精を出す日々である。 
 
  刃物研ぎが大の苦手だが、砥石を手にして刃物を磨いている職人さん会った。素人でも包丁の刃にマジックで印をつけ、それを消す様に砥石を上下に磨いていけば上手くいくとのこと。早速、試してみたが、なんと切れ味復活、ナタのごとき包丁に慣れた女房殿は早速手を切る羽目になった。自らの不器用さを呪い、砥石を手にして研磨する考えに至らなかった古狸には目からウロコの発想だった。  先日、3度目の安土城跡を訪問。織田信長は逆転の発想で歴史を塗りかえた稀代の実践者である。信長の「天下布武」を旗印にした強力な軍団は皮肉にも当時最も弱い兵を抱えた軍団でもあった。"いつでも、いつまでも戦え、意のままに動く"軍団創りのため、銭で雇った兵を用い、兵農分離を試みる。当時、傭兵になるような者は組織からはじき出された品性下劣な流浪の無頼者ばかり。今までの戦の仕方では、武芸技量のない彼らは危険が迫れば一目散に逃げ出す。こんな兵を用いるのは誰もが否定した破天荒な発想だった。

 信長は戦国時代の豪族支配による地域連合軍の致命的な欠点を見抜く。農民兵が主力では農繁期に兵を引かざるをえない。協同組合的な連合組織はなにをするにしても協議が基本。兵への指揮権は豪族諸将にあり、武田や上杉の様な大名でさえも彼らの承諾なしに村落共同体の兵に直接命令できない。一度動き出した軍団には、命令の変更が効かない。また、農民兵が持ち込む武器は不揃い。豪族達の組織を超えて一体的な専門集団を編成することなど不可能。更に村落単位の軍隊では、犠牲者が出れば村でその家族の面倒を見るので、人的被害には極めて臆病になる。 

 信長は技術と組織の改革から始める。弱い傭兵でも踏みとどまって戦え、思い通りに動かせる兵力を育成するため、個々人の力よりも集団で戦う戦法や有利に戦える武器を開発。専門化した能力育成による長槍軍団や鉄砲軍団の集団攻撃で当時最強の騎馬軍団をも敗走させる。特に鉄砲の威力は非力な者でも一騎当千の強者を難なく倒せる。いつまでも戦えるメリットは人的被害を最小限に押さえた兵糧攻めなど新しい戦法を編み出す。専門的な人材の育成・開発が進むと、工兵や輜重兵などの技能別の集団も拡大され、総合的な戦のシステム化が充実していく。また、出自を問わない才覚技能への抜擢は有能な者に立身出世の夢を持たせ、出世にかられた傭兵は死を賭しても戦う価値観を見いだす。 

 巨大な専業兵士を支えるために関所・寺社、座などの既得権益を廃止した規制緩和や楽市楽座の商業振興策を進め、自由化競争による貨幣経済市場を確立し、財政基盤を強化する。「逆転の発想」による創造性は社会構造さえも変革していく程のパワーを生み出す。

 黒澤明監督の名画に「七人の侍」がある。食いつめた浪人侍が米の飯が食べられるという報酬のみで農民に雇われ、盗賊から村を守る物語である。侍精神に目覚めた彼らは7人中4人が死ぬ程の激闘の末、盗賊を殲滅させるが、再び食うや食わずの浪人暮らしに戻ってしまう。発想を変えると、なぜ、彼らは命をかけてまで盗賊を全滅させてしまったのか。盗賊がいる限り、彼らの雇用は保障されていたのに。更には同様の被害を受けている村があれば、セキュリティー・ビジネスが成り立ったかも知れない、等々考えが拡がっていく。

 時には、これはと思った出来事について、その裏や逆の考え方を徹底的に追求してみるのも面白い。「逆転の発想」は意外にもビジネス・チャンスやヒントの宝庫でもある。