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                                1964年卒業 杉浦 捷之

『わが半世紀』

 高崎経済大学卒業以来早や半世紀、間もなく古希を迎え、いつしか人生を回顧する年代になりました。伸び盛りの会社に就職し、世界を回り多くの見聞や知己を得、子や孫にも恵まれ、先ずは幸せな人生と自分に言い聞かせております。
 昨年末子会社の顧問役も終え、Sunday毎日となり、趣味の世界にとっぷり浸かっております。翻ってこの半世紀、世に言う会社人間。名古屋→東京→福岡→東京→アジアパシフィック→ニューヨーク→大和→東京と転勤を重ね、職務もSE→計画→営業→企画→開発・製造→関連事業などIBMの主だった分野を経験でき、経歴として極めて珍しい存在であったようです。要するに器用貧乏ということでしょうか。このIBM勤務を振り返り、記憶に残る2つの事を認 (したた)めようと思います。

 先ず、ニューヨーク勤務。バブルの頂点(1991)とその弾ける過程を2年間米国本社でつぶさに体験。ナビスコから招聘したルー・ガースナー会長の手腕により、世界40万人の社員をほぼ半減、縦割り組織を総合ITサービス企業に再生し、お客様の信頼を回復し立ち直った。勿論多くの犠牲も強いられ、多くの仲間が去って行き、特にハード事業は同業者に切り売り、日本でも2つの工場が無くなった。この強いリーダーシップを発揮した会長が私と同年であるとは彼我の差を感じると共に、NYで共に働いたことに誇り思う。また、アメリカという強大国が実に自由・公平・民主的で、移民一代でアメリカンドリーム、二代で大統領なんてことが現実に起こる寛大で懐の深さを感じます。未だに世界各国からの移民希望者が絶えないこの国の魅力に驚かされます。一方この自由さが銃社会なる犯罪大国や、世界の警察としての傲慢さが少し気になりますが・・・・。ともあれ戦後占領されたのがロシアでなくアメリカで良かったとつくづく思います。(但し、沖縄の基地軽減は不可避ですが)

 次に帰国後翻訳業務を担当。IBMのハード、ソフト共にすべて基本は英語ベースの企業。これらのマニュアルや画面を全て日本のお客様用に翻訳を行う。この量が半端でなく、本にして年間1,500冊、たぶん日本一の発行量だろう。これを300名を超える社員・協力会社・翻訳家の手を借りタイムリーに行い、製品出荷に間に合わせなくてはならない。当然何年もの間、コンピュウーター利用による機械翻訳に取り組み苦労した。同じアルファベットのフランス、ドイツ、イタリア、スペイン語でさえ完全翻訳は難しい。意味が判れば良いという内容では国産の競業他社に劣り、お客様の評価は得られない。現場を去って10年近いが未だに完全な機械翻訳は難しいようだ。ただ、辞書やツールを駆使し、翻訳と品質管理の生産性向上は進化し続けているようだ。この間英語圏以外の各国IBMと情報や技術交換をし、アジア各国、東欧、北欧など旅できたのは我が人生にとってかけがえの無い経験であり、やり甲斐のある最も充実した職務であった。多くのスタッフに恵まれ、このようなチャンスを呉れた会社や時代に感謝感謝!

 古き良き時代の懐かしい思い出を綴りながらも、人間の基本はいつの時代も人と人との繋がりが最も大切であると痛感しています。政治、ビジネス、学校、地域、趣味の世界、全ての社会は人の集まりであり、他人の存在があり自己が存立する(難波田先生による相互律)。自分さえ良ければよいという思考(自同律)では、生存さえ不可能です。たまたま同じ学窓に学んだ仲間として相互律に則り和やかに穏やかに健やかに生きたいものです。