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                                1993年卒業 野田 宜践

『正念場』

 前走の金沢くんとはここ数年,月1ぐらいのペースで新橋あたりでおだをあげています。職場や同業との飲み会とは違った刺激と学生時代の気楽さが同時にあって,精神衛生上欠くことのできない場となっています。
 学生時代は,経済学部に入ったのだから「税理士でもなろうか」(税理士の方すみません)と経理研に入部しました。もちろん,税理士はそう簡単にはなれません。あえなく,2年で挫折です。その後,友人の誘いがあって,金沢くんらとともに新聞会の立ち上げに参加しました。いま思えば「遊び」の域を出ていなかったのかもしれませんが,部員みんながそれなりに使命感に燃え,充実した日々を過ごしたと記憶しています。まあ,当時作った紙面よりも,酒を飲んだり,旅行にいったりした記憶の方が鮮明ですが。
 新聞会の経験が役にたったとは思いませんが,今は環境関連の業界紙の記者をしています。今の会社は,卒業後に入社した会社ですが,5年ほど勤めていったん辞めています。今は出戻りの身です。多少,肩身の狭い思いもしましたが,今は古株のように堂々と仕事をしています。
 さて,業界紙は今,非常に厳しい経営環境にあります。程度の差こそあれ,朝日や読売などの一般紙も同じ状況ではないでしょうか。アメリカでも有力紙がばたばたとつぶれ,記者が大量にリストラされています。 
  いまやネットにつなげば,自分のほしい情報はたいてい得ることができます。それもタダで。情報はお金を出して得るものではなくなりつつあるのです。グーグルという「神」が現れて,記事と広告で成り立ってきた新聞のビジネスモデルは崩壊しつつあります。グーグルには批判もありますが,時計の針が逆に回転することはもうないでしょう。
  私のいる会社もいまが正念場です。あと何年もつだろうか,そんな焦燥感にかられる毎日です。とはいえ,このまま指をくわえて,緩慢な死を待つのも癪です。新たなビジネスモデルはないのか(ないかもしれませんが),業界紙としてまだまだ役立てる方法があるのではないか,と日々模索している最中です。
 同窓のよしみ,何かよいアイデアなどご教示いただければ幸いです。
 つい話がかたくなってしまいました。今回はこのへんで失礼します。次は,新聞会の後輩で,同じくある新聞社に勤める野村くんにバトンタッチします。