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                                1992年卒業 岩 正人

『無駄じゃない道草』

 はじめまして、92年卒の岩と申します。 鈴木ゼミの後輩角田君からバトンを渡され、87人目のランナーとなりました。せっかくの機会ですので、学生時代のことや最近感じていることなど書いてみようと思います。

 私には7才の娘がいます。 彼女はピアノや他の習いごとをしていますし、学校の宿題とは別に問題集もやっているので、ずいぶんと忙しい。 もちろん寸分の休みもなく過ごしているわけはなくて、それなりにだらだら過ごしている時間もあるわけですが、自分自身の7才の頃と比べれば、それは雲泥の差というのが正しいところでしょう。

 私の7才の頃といえば、学校からの帰り道はもちろん道草だらけ。同じ年の近所の仲間と虫を取ったり田んぼのあぜ道を歩いたり雪やつららで遊んだり。家に帰った後も似たようなもので、すぐに遊びに出かけては暗くなるまで遊んでいました。 そこには、何かの目的のためにやるようなことや生産性の高いことは一切なくて、ただひたすら遊びに遊んでいたわけです。

 中学や高校もさほどの違いはなくて、たしかに受験勉強はいくらかやりましたが、バイクでツーリングに行ったりバイトをしたり、女の子と遊んでみたり、友達の家で覚えたての麻雀をやりながらバカ話をしたり。つまりは、相変わらず道草ばかりだったわけであります。 そして、高経で過ごした4年間も、これまた無駄が多くて道草ばかりのゆったりした時間でありました。 受験勉強から開放され、義務教育で全科目が決められている高校までと違い講義も自分で選べるし(出席も自分次第だ!)、おまけに初めての一人暮らし。もとより計画を立てることの嫌いな私が、のんびり・不規則・生産性の低い生活を満喫したのは当然の成り行きだったでしょう。 ファミレスでバイトをしていたことで生活に最低限のリズムはありましたが、長い休みの間はバイトの時間が夜となり、最低限のリズムも昼夜逆転となる始末でした。

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 社会に出て月日が経ちいろんな人との出会いがありますと、いろんな生き方、学生時代の過ごし方が有り得たということに気づきます。
 「留学してMBAを取っていたら...」
 「学生時代に勉強をして公認会計士を取っていたら...」
 「英語だけでも4年間続けて、ペラペラになっていたら...」
 「単なるバイトではなく、企業のインターンに参加し実務に携わっていたら...」
 「1年ほど休学して世界を旅していたら...」

 とはいえ、あれこれ思い描いても過ぎた時間が戻るわけはなく、今の自分でしかないわけです。そして、大人になれば誰しも気づくことですが、時間の過ごし方によって得られる結果はまるで違ってくるわけで、目的を定めてそこに至るまでの道筋を検討し実行すれば、ある程度の結果はついてくるものですし、目的が不明瞭なまま成り行き任せの時間を過ごしたなら、天から幸運が降ってくることはまずなく、大抵は大した結果が出ません。 そうした「真理」からすれば私の学生生活は落第点という他ないのですが、最近になり、それはそれで贅沢な道草だったのかもしれないと思うようになってきました。 目的めがけてまっしぐらに進むのではなく、道草や回り道をしたからこそ、長い時間がかかったからこそ腹に落ちるようにしっかりと理解できることが、あるものですから。

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 そんな贅沢な道草?であった高経の4年間でしたが、今も、そしてこれからも残るであろう大切な収穫がいくつかありました。

 その一つが鈴木先生との出会いで、先生に教えていただいた社会学や経営組織論は、世の中を見る目を養っただけでなく、仕事生活を生き抜く道具であり支えとなりました。 鈴木先生とは今もお付き合いさせていただいていて、年に1、2回は飲みにいったり、たまには特別講義を受けたりと、なんとも有難いことであります。
 そして、ゼミの先輩後輩とのつながりもその一つで、ついつい仕事中心・会社中心になりがちな中で、今も続く鈴木ゼミOBの公式・非公式の交流は、他の組織に生きる人達の意見をざっくばらんに聞くことができる貴重な時間です。 かつて一時期行っていた、銀座近辺のOBが月に一度集まる昼食会「銀座町内会」は楽しかったなぁ。

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 それと最後に付け加え、三扇会実行委員のこと。何かを収穫したか、役に立ったかなんてこととは関係なく、私のとても大切な思い出です。何であんなに一生懸命やってたんだろう? でも楽しかったな。

<おわり>