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                                1988年卒業 岩井 隆展

『明日は明日の風が吹く』

 84人目のランナーに指名されました、88年卒の岩井隆展と申します。学生時代は、ソフトボール部所属、ゼミは中村忠先生の民法ゼミでした。高崎での4年間は、ひたすらインカレ出場のみを目標とし、チームプレーの甲斐あって2度出場することができました。(だが、2度とも1回戦敗退。)今思い起こせば、圧倒的に情報量が少なく、全国で通用するレベルには達していなかったと痛感致します。近年の我がソストボール部はインカレ3位、ベスト8等、監督である高橋伸次先生のご指導の賜物と思っております。  
 前置きが長くなりましたが、卒業後、三井銀行に入行し、6年間で約20億円強は融資してきました。当時バブルの成り掛けで、1年目ぐらいからは、半期で約3億円のノルマ(目標)がありましたので、どうしても土地関連融資に頼らざる負えませんでした。都銀13行(外為専門の東京銀行は除く)皆が土地転がしすれば、それはバブルが弾けるのは今の時代であれば一目瞭然ですよね。
 入行6年目、3カ店目で自分は出張所に配属になり、やっている意義が見出せなかったので、人事部に文句を言って辞めました。もともと、高校時代から政治の世界に興味があり、高崎にいた時も先輩に、昼飯が出るからと、言われるがままに、何時に何処何処へ行けと言われ、行って見たら、某事務所の出陣式の動員に借り出されていた、といった経験を何度かしておりました。また、銀行に入る前も先輩であり当時自民党の1年生議員であった佐藤静雄衆議院議員の秘書になるべきか悩んだ時もありました。そんな中で、次の職が決まらずに啖呵を切って銀行を辞めたものの、すぐには秘書になれず、約1年間は2tトラックのルート配送にて食い繋ぐ時期もありました。やがて新進党の衆議院議員2人、自民党参議院議員、民主党新人、現職の秘書となり、結果的には、8年間で5人の方に仕えました。(理由は、理想と現実が余りにも乖離し、ついて行けない先生や、選挙での落選、事務所閉鎖等です。)(テレビCMにて、俳優の石坂浩二さんが、国会での総理役で、『そんなの私の知ったことではございません』と発する言葉がありますが、ほぼ全員といっていい程、自分のことしか政治家は考えておりません。)
 現在は、都内にて「北朝鮮」に関する、仕事(国交が樹立されていないので、その準備段階)について8年目に入ります。その間、3年前には、東京地検特捜部のガサ入れ、2年前は、警視庁捜査2課による上司の逮捕(私も4時間取り調べを受けました。)最近は東京国税局による調査等、谷あり谷あり(全然、山がない。)の様相になってしまっております。右翼の街宣車も時折来ますし、ちょっとやそっとの事では、動じないようになってきている自分が怖いです。
 そして、北の仕事をやっていると、政府が国民を如何に欺いているかが伺えます。都合の悪い事は、ひた隠しにし、国民受けすることしかやっていません。この仕事を通じて、鉄砲玉は決して前からは飛んでこない。後ろから飛んでくる、ということが痛いほど良く判ります。 この原稿も8月30日を過ぎた時点で書いていますので、自分が携わってきた世界が一変してきていますので、感慨深いものがあります。 民主党の圧勝は先にも述べた「依らしむべし、知らしむべからず」が昨今では通用しなくなったということに尽きると思います。明治維新政府以来、第2次終戦後も、尚も「お上のやっていることは全て正しいから、下々の者は知らなくて良い。」とする発想が通用しない、ということです。社会保険庁や各役所の裏金造りが連日報道されれば、当然と言えば当然です。 
 私は現代は3公7民と思っていますので、国民は、自分達の天引きされた税金の使途がどのようになっているのか、もっともっと知るべきと思います。そして今後の人口推移を考慮すれば、どこかで4公6民にせざる負えない訳ですから。皆が納得する方法(本来、全員が納得する方法は無い。)で、政策を組んでいくべきであると思います。ずばり、キーワードは『情報公開』、これに尽きると思います。来年の夏の参議院議員選挙の頃(ひょっとすると、衆参ダブル選挙の可能性大と思っております。)には、自民党が再生できているかどうか、大いに関心を深めつつ、長々となりましたが、次のランナー、2004年2月に、体育会本部のOB・OG会で知り合った、元代表幹事の長谷川聡さんに引継ぎたいと思います。