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                                  2011卒  廣田まさの
 「忘れないように」

ゼミの後輩である小林くんよりバトンをもらい・・・というところだったのですが、私の怠慢で投稿が遅れ、大先輩の木下様につないでいただくという恥ずべき行為を致してしまいました・・・。大変申し訳ございません。遅れましたが、地域政策学部2011年卒の廣田まさのと申します。

このような場で何を書けばよいのか・・・と考えを巡らせておりましたが、せっかくですのでボランティアで南相馬市を訪ねたときのことを書かせていただければと思います。

まず南相馬市はご存じの通り、2011311日に起こった東日本大震災で壊滅的な被害を受けた地域の一つです。

昨年の10月・今年2月と2度南相馬市を訪ね、がれきの除去や側溝の泥出しなどのお手伝いをさせていただいたり、仮設住宅や津波で建物がなくなってしまっている状況を目の当たりにしました。今年2月の時点では、震災から2年近くが経とうとしていた時でしたが、正直劇的に復興が進んでいる状況とはいえませんでした。原発事故の影響により南相馬市内でも地域によっては警戒区域に指定されているため、震災前の自宅で暮らせていない方々も大勢います。それでも、初めて訪ねた昨年10月と比べると、側溝の水が流れるようになっていたり、がれきが少なくなっていたりと本当に少しずつですが、前に進んでいるのだなという印象は強く受けました。

2月のボランティの中で、被災された方のお話を聞く機会がありました。その方の自宅は幸いにも高台にあったため、流されることはなかったのですが、津波が目の前に迫ってくる恐怖、家族の安否など、お話を聞いているだけでその当時の恐ろしい状況が浮かびあがり、実際に体験された方々の恐怖は計り知れないものだと思いました。それでも、震災から2年近く経とうとする今、一番恐れているのは「忘れ去られること」だそうです。時間が経つにつれ、ボランティアの数も減ってきているそうです。どんな理由でもいいから、南相馬に来てほしい、とにかく忘れないでほしいという悲痛な思いが伝わり、私たちがやるべきことはまだまだ山積しているのだと強く思いました。

現在徐々に警戒区域が解消され、震災前の暮らしに戻れるように進み出してはいますが、水道が復旧していなかったり、除染が進んでいなかったりとまだまだ以前の生活を取り戻せる状況にはありません。ただただ月日が流れ、その間に世間の意識は薄れていくことが目に見えているといっても過言ではないと思います。私にできることは限りなく少ないかもしれませんが、被災地のこと、南相馬のことを忘れないように日々生活していきたいと思います。そして、時間がある時を見つけてまたボランティアに参加したいと思います。